リオ五輪バスケ最年長。39歳のマヌ・ジノビリに残された大事な役割 (4ページ目)

  • 宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko
  • photo by AFLO

 7月にフリーエージェントになったジノビリは早々に現役続行を発表し、フィラデルフィア・76ersから勧誘されながらも、スパーズと1年契約を交わすことを選んだ。スパーズのチームメイトやコーチたちから離れることは、考えられなかったという。

「サンアントニオを離れたくなかったんだ」とジノビリは語る。スパーズには、そう思うだけの絆(きずな)があり、信頼関係があるのだ。

 少し前にジノビリは、NBAに入って以来、スパーズひと筋でやってきたことについて聞かれ、こう答えていた。

「このチームの一員として続けたいと思い、毎回このチームに戻ってくる理由があるとしたら、それはこのチームに素晴らしいケミストリーがあるからだ。ともに時間を過ごしてきた仲間と、楽しい時間を過ごすことができるからだ。試合に勝つこと、優勝することだけがすべてではないんだ」

 39歳のジノビリの選手生活は、確実に終わりに近づいている。太陽だとしたら、沈みかけた夕陽だ。それでも、アルゼンチン代表とスパーズのふたつのチームで、自ら築いてきた伝統を次の世代に継承するという役割が残されている。長い間、チームのつながりを大切にしてきたジノビリだからこそできる、大事な役割だ。

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