【国内バスケ】選手兼社長となった折茂武彦が「初めて頭を下げた日」 (4ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 そして最後に、それは折茂だからこそ抱かずにはいられない想いもあった。

「プロチームですから、『給料は払えません、すみませんでした』では済まない。済まないんですけど、たぶん選手たちは、チームメイトでもある僕が『払えない』と伝えたなら、『折茂が言うならば......』と、何も言わなかったと思う。選手たちはきっと我慢してくれる。そこがわかるからこそつらかったし、嫌でしたね。そこが一番きつかったです」

 もちろん、私財を投げ打つことに周囲は大反対した。唯一、反対しなかったのが妻だった。いつも事後報告の折茂は、さすがに今回ばかりは話さないわけにはいかないと、関東に住む妻に事情を話した。妻は取り乱すどころか、顔色ひとつ変えずに言った。

「自分がバスケで苦労して稼いだお金なんだから、自分で使えばいいよ。失敗したら帰って来ればいいんだから」

 だが、折茂の貯蓄は2年で底をつく。「この形態ではチームの存続は不可能」と、折茂は一般社団法人から株式会社に切り替える決断を下した。

 そして、スポンサー探しにふたたび奔走し、まさにチームの運命を決定する分岐点に立つ。現在もメインスポンサーを続ける会社の社長室をノックしたときの震えを、折茂は今も覚えている。

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