【NBA】「嫌われ者」から「名脇役」へ。
進化が止まらないJ・J・レディック

  • 宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko  photo by AFLO

 J・J・レディック(ロサンゼルス・クリッパーズ/SG)は、見る人によって、そしていつから見ていたかによって、イメージが大きく異なる選手だ。

※ポジションの略称=PG(ポイントガード)、SG(シューティングガード)、SF(スモールフォワード)、PF(パワーフォワード)、C(センター)。

いまやクリッパーズに欠かせない選手となったJ・J・レディックいまやクリッパーズに欠かせない選手となったJ・J・レディック NBAに入ってからのレディックしか知らない人にとっては、シュート能力に長けた「優等生の脇役選手」。さかのぼって、デューク大のエースだったころのレディックを覚えている人は、『ブルーデビル』の愛称さながらに悪魔的で傲慢さすら感じさせる「憎たらしい嫌われ者」。

 実のところ、レディック自身も大学時代、特に最初の2年間の自分を振り返って、「あのころの自分は、ヤジられても当然だった」と認めている。

 デューク大といえば、アメリカの大学界では長い間、強豪として君臨してきたチームだ。1992年、レディックが7歳のとき、NCAAトーナメントのデューク大対ケンタッキー大をテレビで見て、デューク大エースのクリスチャン・レイトナーが逆転シュートを沈めた場面に感動し、「僕は将来デュークに入る」と家族に宣言したという。そして、実際にデュークから勧誘され、夢の大学に進んだ。

 レディックのように、強いデュークを見て憧れる選手がいる一方で、あまりの強さに全米のファンからは反感を買うことも多い。敵地では常に、盛大なブーイングとヤジで迎えられる。バージニア州の田舎町・ロアノークからそんな世界に入ったレディックにとって、その嫌われっぷりに最初は衝撃を受けたという。大学生のやることは、時に過剰になる。家の留守電電話に知らない人から、1日に何本も罵(ののし)りのメッセージが入っていることもあった。

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