【国内バスケ】田臥勇太が語る「能代工時代の憂鬱な夏」

  • 水野光博●構成・文 text by Mizuno Mitsuhiro

 あの夏の、夜の憂鬱――。連夜の敗戦が、田臥たちを強くした。まさに、漫画『スラムダンク』の山王工業、堂本監督の名言のように。

「負けたことがある、というのが、いつか大きな財産になる」

 田臥は言う。

「敵わないし、コテンパンにされた。ただ、あのOB戦で負けたこと、稀(まれ)に好勝負できたり、もっと稀に勝てたことが自信につながった。インターハイやウィンターカップ、高校生同士の試合で負けるはずがないって自信を持って臨めたんです」
 
 最後に聞いた。あの夏の練習メニュー、今、もう一度やれと言われたらやりますか?

「どうしても、と言うなら......。もちろん、嫌ですけどね。ただ、あのときよりも、もう少しシャトルランでうまくごまかせるようになっているかもしれないです」

 そう言って笑ったが、おそらく、田臥は今もラインを踏むはずだ。あの真夏の一歩が、今の自分の土台を築いたことを知っている。なにより、サボろうとした瞬間、その脳裏に響く「こいこさ!」の秋田弁が、田臥勇太にラインを踏まないことを許さないはずだ。

Tabuse YutaTabuse Yuta【profile】
田臥勇太(たぶせ・ゆうた)
1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。リンク栃木ブレックス所属。バスケットボールの名門高校・秋田県立能代工業に入学し、3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの3大タイトルを制して史上初の「9冠」を達成。2004年、フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーとなる。2008年よりリンク栃木ブレックスでプレー。ポイントガード。173センチ・75キロ。

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