【NBA】レブロンの心を激しく揺さぶった「故郷」への想い (2ページ目)

  • 宮地陽子●文 text by Miyaji Yoko photo by Getty Images

 レブロンは再び4年前からやり直せるとしても、「選ぶ道は変わらなかった」と述べている。マイアミに移ってからの4年間で、レブロンは毎年NBAファイナルに進出し、2度のNBA制覇を成し遂げた。今年のファイナルで敗れた後、4年間を振り返ってレブロンはこう言った。

「僕らは4年連続でファイナルに出た。(今年優勝できなかったからといって)この4年間で成し遂げたことが傷つくことはない。1回負けて、2回勝ち、そして1回負けた。4年の間に50%の優勝なら悪くない。もちろん毎回優勝したいけれど、この世界は勝ったり負けたりするものだ。大事なのは次の年に、個人としても、チームとしても、成長して戻ってくるだけだ」

 今から思うと、この言葉の中にも、「4年間」をひとつの区切りとするニュアンスが大いに込められていた。レブロンが以前から、故郷に戻ることを真剣に考え始めていたことがうかがえる。

 レブロンにとって今回の「決断」は、4年前のように苦しみ、悩みながら決めたものではなかった。むしろ、これが「運命」であるかのような、自然な選択だった。

 温暖なマイアミの地と比べると、クリーブランドの冬の寒さは厳しく、経済的にも恵まれていない土地だ。キャブスも、レブロンのいない間にドラフトでトップ指名を3回引き当て、若手の有望選手を揃えたものの、マイアミのようにすぐに優勝候補となるようなチームではない。それでも彼にとって、「生まれ故郷」に代わるものはなかった。マイアミで優勝し、優勝パレードをしたときも、クリーブランドで優勝したら故郷がどれだけ盛り上がるだろうか――と想像していたという。

 レブロンはエッセイの最後を、「チャレンジを受け入れる準備ができました。故郷(ホーム)に戻ります」という言葉で締めた。4年前、このまま故郷に残ってもキャブスを優勝に導くことができるという確信が持てなかったときは、チャレンジを受け入れられなかった。しかし今は、優勝リングやチームの経験値ではなく、故郷の土地を選んだ。そのため、4年前にレブロンが去ったときに恨みつらみのこもった挑発的な手紙をウェブ上に掲載し、4年間そのまま削除することがなかったキャブスのオーナーとも話し合い、和解した。それだけ、何よりも故郷への愛情が強かった。

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