大ベテランの献身。選手兼チーム代表・折茂武彦のバスケット新リーグへの思い (5ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko 山本雷太●撮影 photo by Yamamoto Raita

――チーム経営者としての折茂さんの今後の目標はどういうものですか。

折茂「昨年は本当に資金がない状況で、なかなか選手が集まらなくて、コーチも外国人選手も決まらなかった。契約がもつれて時間がなくなってしまった。これはもう言い訳になってしまいますけれども、興行にかける時間なんていうものはほとんどなかったんです。これを今年は早めに手を打たないと、同じことの繰り返しになってしまいます。なので、もうシーズンが終わった段階で、もちろん契約も興行も含めて、すぐに準備をしなければいけないと思っています」

――新リーグNBLも今年が非常に重要ですね。

折茂「そうですね。ここで変わらなかったらもう日本バスケット界は変われない。2019年からFIBA(国際バスケットボール連盟)がこれまでの世界選手権をワールドカップという名称に変え、開催年もサッカーW杯とオリンピックの間の年に変えることを決めた。世界のバスケ界がオリンピックに代わるメインイベントをつくろうとしている(※予選はこれまでの一週間程度の一発勝負とは異なり、2017年から1~2年をかけてリーグ戦を中断しながらサッカーW杯予選のようにホームアンドアウェーで試合を行なっていく)。つまり2017年にひとつのターニングポイントがやってくるんです。

 そこまでに日本バスケ界が何をするべきか逆算すると、今2013年ですから、2015年にはプロ化しないと間に合わない。それをしっかりやっていただかなければ、もうバスケットの未来はないかもしれない。あと2年、山谷さんもブレずに、もちろん僕もこうやって発言をしながらお手伝いはしていきますが、ここでできなかったら、もうおそらくできないでしょうね」
 
 私は最後に折茂に聞いた。トヨタ自動車を飛び出したことを後悔していないか?と。大企業チームに残っていれば、今頃は悠々自適のセカンドキャリアを送れていたであろう。それが、移籍したプロチーム消滅の波に翻弄され、収入は安定どころか激減。愛車も売り払い、選手を続けながら経営者としてストレスと不眠症に冒されながらもスポンサー回りを義務付けられる今の境遇と比べれば......。

 しかし、即答された。

「いえ、まったく。出て良かったですよ。トヨタ自動車にいたら、もうとっくに引退していたでしょうけど、いまだに現役でいられるのはプロになろうと決心したおかげです。大変ですが、普通では得られなかった経験を今、しています。決断は間違っていなかったと思っています」

 私は取材を始めるまではNBLに関して正直、また統合に失敗し、リーグの名前を変えたに過ぎないのではないかという思いが強かった。それが少なくとも変わった。

 試合数の増加、自主興行、サラリーキャップ、フランチャイズ制、制度面の変革もさることながら、厳しい状況の中、決してあきらめずに身を削ってでも完全プロ化に向けてまい進しようとしている人物がいた。

 山谷拓志の突破力、島田慎二の勇気、折茂武彦の献身。奇しくもこの3人は1970年生まれの同い年である。

 確かにここでできなければ、終わってしまう。NBLの今季に注目を続けたい。

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シリーズ 『スポーツ紛争地図』

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