大ベテランの献身。選手兼チーム代表・折茂武彦のバスケット新リーグへの思い (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko 山本雷太●撮影 photo by Yamamoto Raita

―― 経営破綻をしたところから、選手でありながら新しい会社の理事長に就任される際には、それこそいろんな方に反対されたと思いますが、何が大きな決断をさせたのでしょう。

折茂「4億円ぐらいの負債を抱えて、チームがなくなったわけですから、もしかするとそれが自分に降りかかると思ったら、大概の人はやらないでしょうね。ましてバスケットがまだメジャースポーツではなく、プロ化もされていない中で、厳しいという声は相当ありました。

 でも、自分はずっとバスケットをやってきて、それでずっとご飯を食べてきた。その中で、じゃあこのバスケットに対して、北海道に対して自分が恩返しできることは、チームを残すことしかないということで、まったく後先考えずに、まずはやってみようという決断をしました」

――今までプレイだけに集中できたところが、自身スーツを着てスポンサーを回らなきゃいけない。理事長になられて生活は激変したわけですね。

折茂「僕はバスケットしかやったことがない人間でした。練習は一日のうち4時間ぐらいですよ。それ以外は自分の時間に使えていた。そんな生活が20年間続いていたわけです。しかし、一瞬にしてそれがすべてなくなってしまった。それがまずストレスでしたね。

常にいろんなところに行って、「こういう状況です」と説明をしながら理解をしてもらう。また、選手もその当時、誰も決まっていなかったんです。僕ひとりだけですから。理事長業を始めた時には、情緒不安定になってしまって生まれて初めて眠れなかったですね。1週間ぐらい寝てないと、目をつぶれば眠れると思うんですけど、目を開けるとまだ1時間とか2時間しか経ってない。それが毎日毎日続くわけです。だから、スポンサー回りをしていましたけど、実は初めの方はあまり覚えてないんです」

――記憶がない。

折茂「はい。で、食事も食べられなくなった。それで、睡眠薬を処方してもらって。そのころマスコミの方が取り上げてくれたので、広告塔にならなくてはと、新聞、テレビに毎日出続けて、スポンサー集めをしていたら、まず人と会うことが嫌になってしまったんです。今もまだその名残があって、テレビの音を聞いたり、携帯の音を聞くと気持ち悪くなってしまうことがありますね」

―― 一時はbjへ行かれることも検討されたとうかがっています。

折茂「そうです。検討しました。それはやはり資金面で、JBLは大企業チームがほとんどでしたから、莫大な資金を投入してチームを運営する。僕自身トヨタ自動車にずっといましたけど、何も不自由することがない。その中で、ただバスケットをやるだけのプロチームをやってしまったら、もしかしたらレラカムイの二の舞になってしまうのではないかという思いもあった。

 それで、その半分以下の予算で運営できるbjリーグがあるのであれば、そういう道も考えなければいけないのかなということで、そこはJBLの許可を取って、bjの人とお話をさせてもらいました」

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