検索

ホンダの若手育成は「形になってきた」 佐藤琢磨がドライバーに求めるのは「託したい」と思わせる人間力 (4ページ目)

  • 熱田 護●取材・撮影 interview&photo by Mamoru Atsuta
  • 川原田 剛●構成・文 text by Tsuyoshi Kawarada

熱田 それは具体的にどういうところですか?

佐藤 自信に満ちあふれ、その状況を楽しんでいるということです。今年のメルセデスのマシンが速いという大前提はありますが、あのジョージ・ラッセルを相手に、毎回のように非常に高いレベルのパフォーマンスを発揮しています。ラッセル自身も、ルイス・ハミルトン(フェラーリ)を追い詰めるほどの実力を持ったドライバーです。

 ラッセルはF2参戦初年度にチャンピオンになり、圧倒的なスピードで勝ち上がってきました。そしてメルセデスの育成ドライバーとしてウイリアムズで3シーズンを過ごし、2022年にトップチームに昇格しています。ラッセル自身、今年は自分のシーズンにしたいという強い思いを持っていたはずですが、対してアントネッリがこれほどの速さを見せているということは、本当に驚異的なことだと思います。

 でも昨年のアントネッリをよく見ると、ルーキーにありがちなミスを繰り返していましたし、現在見せているような完成度の高い強さを発揮できていたわけではありません。若い選手は、自分が劣っていることを認めるのが難しい時期があります。「こんなはずはない」という思いが強くなり、自分自身に過大なプレッシャーをかけてしまうからです。

 でも彼の場合は、彼自身の魅力や人間性によって、彼を支えるすばらしい環境が自然と出来上がっていった。「自分らしくやればいいんだ」と気づいたことで、本来持っている能力を発揮できるようになった。それが今のアントネッリにつながっているのだと思います。

 そもそもアントネッリはカート時代から驚異的な速さを見せていました。また、お父さん(マルコ・アントネッリ)がイタリアF4でチームを運営している環境もあり、早くからフォーミュラでトレーニングを積み、順調にステップアップしてきました。重要なのは、彼自身がその環境に甘えるのではなく、自分の力で評価を勝ち取ってきたことです。お父さんのチームでデビューしていないことも、そのひとつの表れだと思います。

 周囲のサポートを受けながら、順調に勝利を重ね、フォーミュラ・リージョナルから飛び級で2024年にF2に参戦し、翌2025年には18歳でF1デビューを果たしました。でもF2では常勝チームのプレマに所属していながら、なかなか勝てなかった。

熱田 F2ではランキング6位に終わり、正直、期待外れの結果でしたよね。

佐藤 関係者はマシンが変わったことで勢力図が変化し、プレマが大苦戦に陥ったことを理解していました。しかし、ハミルトンやオスカー・ピアストリ、ラッセルのように、F2で圧倒的な強さを示してタイトルを獲得したわけではありません。ですから、ファンや一部のメディアから「連戦連勝していたわけでもないのに、なぜF1にステップアップするのか」と疑問の声が出るのも当然だったと思います。

 でも、注意深く見ていくと、彼の周りには状況を正しく理解し、彼の可能性を信じている人たちがいました。もちろん、ハミルトンがメルセデスを離れてフェラーリへ移籍したことで、大きなチャンスが巡ってきたことは事実ですが、それだけの理由でF1ドライバーになれるわけではありません。

 最終的には、本人が持つ才能や可能性を見抜いた人たちがいて、その人たちが「この選手を支えたい」と思えるだけのものをアントネッリ自身が持っていたということだと思います。圧倒的なスピードだけではなく、困難な状況でも成長し続けようとする姿勢、強い信念と将来性に加え、チャーミングな人間性と魅力を備えていたことはとても大きい。だから彼に関わった多くの人が彼の才能を信じ、応援したいという気持ちになるのです。

後編へつづく

<プロフィール>
佐藤琢磨 さとう・たくま/1977年、東京都生まれ。ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS)のプリンシパル(校長)、ホンダ・レーシング(HRC)エグゼクティブ・アドバイザー。1997年に20歳でHRSの前身である鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS-F)を首席で卒業。その後、渡英して2001年にイギリスF3選手権でチャンピオンを獲得し、F1登竜門のマールボロ・マスターズF3、マカオGPも制覇。2002年にはジョーダン・ホンダからF1デビューを果たし、2004年のアメリカGPでは3位表彰台を獲得。2010年以降はアメリカのインディカー・シリーズへ転向し、2017年と2020年には日本人として初めてインディ500を制覇。現在も現役としてインディ500に出場。2026年もインディ500にスポット参戦し10位完走を果たす。

著者プロフィール

  • 熱田護

    熱田護 (あつた・まもる)

    フォトグラファー。1963年、三重県鈴鹿市生まれ。2輪の世界GPを転戦したのち、1991年よりフリーカメラマンとしてF1の撮影を開始。取材500戦を超える日本を代表するF1カメラマンのひとり。

  • 川原田剛

    川原田剛 (かわらだ・つよし)

    1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

キーワード

このページのトップに戻る