アイルトン・セナ没後28年。ブラジル人記者が振り返るその知られざる素顔

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

マンセル、シューマッハ、ハッキネンとも...

 セナは頭に血が上りやすく、それを拳で解決することも少なくなった。彼は諧謔的(かいぎゃくてき)に「F1界に善人にはいない、悪人ばかりだ。だからより悪くなくては生き残れない」などとも発言している。

 1987年のベルギーGPで、セナ(当時ロータス・ホンダ)がナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)のマシンに突っ込み双方がリタイアしたことがあった。レース後、マンセルはロータス・ホンダのピットに怒鳴り込み、説明を求める。4人のメカニックが止めようとしている間に、セナはマンセルのことを殴った。

 1992年のフランスGPでは、若手として台頭してきていたミハエル・シューマッハ(ベネトン)の自分をリスペクトしないドライビングに苛立ち、観客の目の前でシューマッハにくぎを刺すシーンが見られた。その後、ホッケンハイムでのテスト走行中に諍いなり、この時は乱闘寸前にまでなった。「殺してやる」という強い言葉まで聞かれたという。

 ミカ・ハッキネン(ロータス)がセナより早く走った時も、彼はハッキネンに食ってかかった。ハッキネンが「マシンの力じゃない、これが自分の実力だ」と答えると、セナは激怒したという。

 1993年の鈴鹿では、エディ・アーバイン(ジョーダン)と、記者の前で大喧嘩を繰り広げた。周回遅れのアーバインがトップを走るセナを追い越したことで、セナは激怒。アーバインのインタビュー中に「お前は何をしたかったんだ」と乱入した。アーバインに「お前がのろかったからだ」と返されてカッとなって手を出した。この後、ふたりは長いこと口を利かなかった。

 ドライバー相手ではないが、こんな出来事もあった。1991年のシルバーストーンで、セナのマシンがガス欠で止まってしまった時、彼はウィニングランをするマンセルの車に乗ってパドックまで戻ってきた。「セナ・タクシー」という有名なエピソードで、ほほえましい話と知られているが、その陰でセナは、それを止めようとしたマーシャルを足蹴にしている。
(つづく)

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