ホンダにとってアルファタウリは特別。八郷社長「一番うれしかったのはイタリアGP」。救ってくれた恩義は絶対に忘れない (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by BOOZY

まぎれもなくホンダの実力

 そんななか、イタリアGPの勝利は異彩を放っていた。

 もちろん、赤旗中断という幸運による部分は大きい。ガスリー自身は早めにピットストップを終えて15位まで後退し、その直後にセーフティカーが導入されたため、本来はむしろ圧倒的に不利な展開だった。

 しかし、ピット入口が停止車両のため閉鎖されて誰もピットインを済ますことができず、隊列が整ってからピットインすることになったおかげで、ガスリーは逆に15位から3位へと大きくポジションを上げることに成功した。さらには、首位ルイス・ハミルトンがピット閉鎖中にピットインしたことでペナルティを科されるという幸運もあった。

 だが、28周目の再開から53周目まで残り26周のレースを制したのは、まぎれもなくガスリーとアルファタウリとホンダの実力だった。

 カルロス・サインツ(マクラーレン)の追撃を振り切りながら、甚大なプレッシャーのかかる状況下で一切のミスを犯すことなく、ガスリーはトップでチェッカードフラッグを受けてみせた。

「正直言って、まったく信じられないよ、何が起きたのかまだ現実味がない。ものすごくクレイジーなレースだったし、赤旗の幸運もあったけど、クルマもすごく速かったし、これだけパワーがモノをいうサーキットでしっかりと戦えたのは、ホンダのおかげでもある。こんなにパワーセンシティブなサーキットでメルセデスAMG、フェラーリ、ルノーの全車に勝てたんだから、最高だよ」

 ガスリーは前年度にレッドブルへ昇格を果たしたものの、リアの不安定マシンに苦戦し、前半戦を終えた時点でトロロッソへ再降格という屈辱を味わっていた。

 そしてそれと時を同じくして、子どもの頃からルームメイトとしてともに切磋琢磨してきた親友のアントワーヌ・ユベールを事故で亡くしてもいた。

 それでもガスリーは前を向き、今自分が置かれた状況のなかで、やれるかぎりのことをするしかないと戦い続けた。それがガスリーを強くし、レーシングドライバーとして大きく成熟させた。モンツァの走りは、まさにそんな成熟ぶりを体現した26周だった。

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