日本人F1フォトグラファーが見届けたホンダの最後と歓喜の様子。「そのシーンを撮影するために1年間頑張った」 (2ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi

ーー熱田さんは思わず、もらい泣きしたんじゃないですか?

熱田 ホンダの人たちが抱き合いながら涙する姿を見た時は、泣いてしまいました。僕はすぐ泣いちゃうから(笑)。彼らとハグしたら、もっと泣きましたね。

桜井 普通、カメラマンは抱き合わないですよ。だって仕事にならないですから(笑)。でもカメラマンも人間だから、ああいう場所にいたら、そうなるのは仕方ないかなとも思います。

熱田 2004年アメリカGPの佐藤琢磨選手と2012年日本GPの小林可夢偉選手の3位表彰台もうれしかったですが、ホンダのチャンピオン獲得は30年ぶりですからね。それに第4期の最初は辛いレースが続きました。先が見えないどうしようもないところから始まりましたが、最後にチャンピオンを獲り、有終の美で第4期の活動を終われたのですから、感極まりますよ。

桜井 確かにね。最初にマクラーレン・ホンダで復帰した時のトップは、シーズン前のテストの時に「今年は何勝かするんじゃないの」とか平気で言っていましたから。あの時は本当にビックリしました。でも、完走さえままならないレースが続き、山本(雅史)さんが2016年にマネージメントのトップに立ってからは、足元をしっかりと固めて、一歩一歩着実に進んでいったような気がします。山本さんがトップに立ったことが第4期の転換期だったと思いますね。同じ船に乗っていても、船長が違うとここまで違うのかなと感じました。

熱田 ホンダのモータースポーツの技術開発を担う研究所HRD SakuraでPUの開発総責任者を務める浅木(泰昭)さんの力も大きいと思います。2021年シーズンに入り、あれだけホンダのPUの性能が向上したのは、2022年に使用する予定だった開発途中の新骨格エンジンを1年前倒ししたからです。その決断をしたのは浅木さんですし、2021年シーズンに向けて浅木さんの部下たちが形にしていったのですが、本格的に開発がスタートしたのは2020年10月です。

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