ジャン・アレジとのF1参戦計画が頓挫した舞台裏をスーパーGT女性監督が語る
かつてのF1参戦計画の挫折を涙ながらに語った芳賀この記事に関連する写真を見るーーその時の心情は?
芳賀 どうしよう......というのが、正直な気持ちです。味方がいなかった。予算を出してくれているスポンサーにダメと言われたら、それ以上何も発言できませんでした。そんな中でもジャンは本当に助けてくれましたね。海外の契約解除など、最後まで誠実に責任を持ってしてくれました。
ーー撤退の流れを変えることはできなかったのですか?
芳賀 私は日本のレース活動だけは何が何でも死守したかった。特にスーパーGTはその時、ポイントリーダーでしたから。それで、マシンからディレクシブのロゴを外して、ドライバーポイントは残る形で参戦を続けられるようにするのが精一杯でした。
当時お世話になっていたチーム関係者がチームを引き継いでくれたのですが、本当に感謝しています。とても辛かったですし、シーズン半ばで撤退することになった時は、スタッフやドライバー、関係者の皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいでした......。
あらためて当時を振り返ると、監督として力不足でした。20代の頃は若く、言葉にも説得力なかったと思います。今では周りのスタッフも言うことを聞いてくれますが、当時は自分の力だけではなかった。周囲に助けられて、監督を務められたと感じています。
(後編へつづく)
【プロフィール】
芳賀美里 はが・みさと
1979年、岩手県生まれ。10代から芸能活動をスタートし、レースクイーンとしても活躍。23歳で起業したのち、ディレクシブの代表兼監督を務め、スーパーGTをはじめ国内外のさまざまなカテゴリーに参戦。チームはF1へのエントリーも行ない注目を集めたが、チームは06年にモータースポーツ活動を全面撤退。翌07年からレース監督として復帰。08年のチャンピオン獲得後、一時レース界を離れる。美容業界に進み、ビューティースキンコンサルタントとして活動。21年シーズンから13年ぶりにモータースポーツ界に復帰し、スーパーGTのYogibo Drago CORSE監督を務める。
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