ジャン・アレジとのF1参戦計画が頓挫した舞台裏をスーパーGT女性監督が語る

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

ーーその後、チームはさまざまなカテゴリーに参戦を拡大していきます。05年のスーパーGTを皮切りに、06年に国内はスーパーGTとフォーミュラ・ニッポン(現・スーパーフォーミュラ)、ヨーロッパではイギリスF3、GP2(現・FIA-F2)に参戦。F1のマクラーレンにもスポンサードをしています。

芳賀
 スーパーGTとフォーミュラ・ニッポンだけだったら、まだコントロールできたんでしょうけど、F1やGP2という世界規模の大きなレースになってくると、多くの人がいろいろなことを言い出すようになった。ヨーロッパのほうをコントロールすることが難しくなり、自分の力のなさを感じていました。

ーー06年にF1参戦のエントリー申請をしました。イギリスのチーム「ディビット・プライス・レーシング(DPR)」とパートナーシップを組んで、08年からのF1参戦を目指します。当時の心境は?

芳賀
 F1参戦プロジェクトは、ジャンがメインで進めていたのですが、当時はF1が最終目的。あまり考える暇もなく、目標実現に向けて全力で突っ走っていました。今思うと恐ろしいですけどね。

ーーどういうチーム体制でF1にチャレンジする予定だったのですか?

芳賀 マクラーレンのセカンドチームという形で参戦する予定でした。マクラーレンの旧ファクトリーの権利を購入し、マシンはマクラーレンの型落ちを使用。エンジンはメルセデスから供給を受ける計画でした。

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