ジャン・アレジとのF1参戦計画が頓挫した舞台裏をスーパーGT女性監督が語る (2ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

ーーそうしてチーム運営に入っていったのですね。代表を務めたチーム「ディレクシブ」は05年に発足しています。結成のきっかけは?

芳賀
 国内外のレースへの参戦を目標にスポンサーを集める中で、主に海外で活動する多くの投資家との出会いがありました。その中に、ジャン・アレジによるフランス人ドライバー育成プログラムのスポンサーをしている方がいました。そして、「F1を目指すヨーロッパと日本の若手ドライバーたちを育成するプロジェクトができないか」と相談がありました。

 そこで私はフランスのジャンの自宅を訪ね、話をするうちに、日本とヨーロッパで協力しながらやっていこうということになりました。それがチーム設立のきっかけです。ヨーロッパはアレジが、日本は私がそれぞれリーダーになってプロジェクトがスタートしました。日本では、まずお客さんがもっとも入っているスーパーGTに参戦することになったんです。

ーーそれが初めてのレースチームのマネジメントでしたが、不安はありませんでしたか?

芳賀 その時はもう勢いと若さだけでした。怖いもの知らずで突っ走っていきましたね。

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