ホンダスピリットで「攻めた」F1マシン。失敗作と言われても挑み続ける (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 その結果、RA107はブレーキング時に突然ダウンフォースが抜けてひどく過敏な挙動を示すマシンとなった。その問題解決にはかなりの時間を要し、それを抑え込むためにリアウイングを立てざるを得ず、ストレートで多くのタイムを失った。

 RA107はフルスケールの風洞を導入して開発された。だが、風洞と実走の誤差を埋め切れず、実走でマシンの姿勢が変わった時のダウンフォース発生量推移が、想定にも増して急激すぎた。

 前年に勝利を挙げ、ドライバーとして脂の乗りきった時期だったジェンソン・バトンは、このマシンに手を焼いた。ブレーキング時にマシンを安定させるためにリアにダウンフォースを乗せると、アンダーステアがひどくターンインしていけない。コーナーで車速が落ちるから、立ち上がりではリアが滑ってオーバーステアが出る。

 ベテランのルーベンス・バリチェロはリアを安定させたマシンでまずまずの走りを見せた。だが、バトンのようにスムーズなドライビングながら一発の速さも追求しようとすると、RA107の挙動ではどうにもならなかった。

 2006年かぎりでのタバコ企業の広告自主規制を受けて大スポンサー不在となったホンダは、「Earth Dreams」という名を冠してマシン全体に地球を描くという大胆なカラーリングを施した。環境問題への配慮はすばらしい取り組みだが、BATに代わるスポンサーを見つけられなかったがための苦肉の策であることは明らかで、奇抜すぎるカラーリングをまとったRA107はそのコース上での成績とあいまって、完全に"失敗作"の烙印を押されてしまった。

 だが、中本シニアテクニカルディレクターが語っていたように、失敗を恐れず挑戦するのがホンダだ。

 果敢に挑戦し、失敗し、その失敗から学んで革新的な技術を捻り出す。それが第1期、そして第2期のホンダが実践し、成功を収めてきた道のりだった。

 第3期のホンダは、2000年の復帰からホンダらしくない組織で、ホンダらしくない戦いを続けてきた。一部の人たちが必死にもがいていただけで、そこにホンダらしいチャレンジスピリットは浸透していなかった。

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