佐藤琢磨×鈴木亜久里、F1で夢のタッグ。オールジャパン体制にファン熱狂 (4ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 イギリス人中心に構成されたブラックリーのホンダF1チーム、ホンダの現地活動拠点で日本人を中心としたHRD(ホンダ・レーシング・ディベロップメント)、エンジン開発を中心としながら車体開発のアイデアを思うように形にできない栃木研究所、そして、アメリカ市場を見据えながらも3つの組織をまとめるだけの明確な方向性を打ち出せないホンダ青山本社......。

 それぞれの間に微妙なズレと確執を生みながら進むホンダの第3期F1活動は、1999年のRA099でのテスト時に思い描いていた、第1期のような「ホンダらしいチャレンジスピリット」とはかけ離れたものとなってしまっていた。

 そんな迷走に失望していた日本のファンにとって、スーパーアグリの挑戦はまさしく、ホンダよりもホンダらしいチャレンジスピリットの塊だった。

 シート喪失の危機に直面していた佐藤琢磨、F1界で仕事にあぶれていたエンジニアやメカニックたち、そして複雑な組織のなかで技術と情熱を形にできずもどかしさを抱えていた栃木研究所のエンジニアたちにとって、スーパーアグリはホンダ以上にホンダらしい情熱に満ちた挑戦だった。

 だからこそ、日本はスーパーアグリの挑戦に熱狂した。16万8000人以上の大観衆に埋め尽くされた鈴鹿サーキットの声援は、間違いなく2台のSA06に注がれていた。

(つづく)

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