F1に旋風を巻き起こした「無限」パワーはホンダイズムを体現していた (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

もしホンダRA099がF1デビューしていたら...もしホンダRA099がF1デビューしていたら... RA099は当時の最もパワフルなエンジンを搭載し、ガスコインの恩師でもあるティレルのハーベイ・ポスルスウェイト博士が製作とチーム運営の指揮を執った。もちろん、ホンダとしてのバックアップもある。ジョーダン無限がタイトル争いを繰り広げたのだから、RA099がそれと同等かそれ以上の速さを見せるのは当然のことだった。

 外連味のないシャシーに、パワーではピカイチのエンジン。まさしく、本田宗一郎の夢を乗せて世界に羽ばたいた第1期F1活動の理念をそのまま蘇らせたような、ホンダらしいマシンだった。

 現在レッドブル・ホンダのドライバーであるマックス・フェルスタッペンの父、ヨス・フェルスタッペンがドライブし、F1の公式テストにも参加してトップタイムを連発するなど、世間を驚かせた。第2期のホンダ黄金期の記憶がまだ鮮やかな頃だけに、誰もがホンダの第3期活動には期待と脅威の目を向けた。

 しかし、ポスルスウェイト博士の急死や社内の派閥争いなどの影響で、RA099を中心としたフルコンストラクターとしてのF1復帰計画は1999年4月、急遽白紙となる。第3期F1活動は新興チームB・A・Rと組んでのエンジンサプライヤーとしての活動へと方針転換がなされた。

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 これによって、2000年にホンダはワークスとしてB・A・RにRA000Eを供給してF1復帰を果たし、無限はMF301HEをジョーダンに供給してそれぞれ別の道を歩む、という奇妙な事態となった。

 1992年かぎりで撤退したホンダの穴を埋めるようにF1の世界に関わり続け、最新の技術を磨き続けてきたのが無限だった。ホンダの第3期F1活動は、その無限が蓄積してきたノウハウを生かしながら、フルコンストラクターとして第1期のような原点回帰が果たされるはずだった。

 もしその計画が実現していれば、第3期のF1活動はこれ以上ないくらいにホンダらしいマシンで、もっとホンダらしいF1活動になっていたはずだ。そしてその後のホンダのあり方も、もっと違ったものになっていたのかもしれない。

(つづく)

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