F1に旋風を巻き起こした「無限」パワーはホンダイズムを体現していた (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 そして第7戦フランスGPでは、マクラーレンのミカ・ハッキネンを抑えて優勝。さらにはパワーサーキットのホッケンハイムでフロントロウから3位、モンツァでもフロントロウを獲得して2勝目を挙げ、なんとドライバーズチャンピオン争いに加わった。

 メルセデス育成プログラムでミハエル・シューマッハ、カール・ヴェンドリンガーとともに"三羽ガラス"と呼ばれ、シューマッハと同期でありながらF1での飛躍が大きく遅れたフレンツェンは、ようやくその才能を開花させたのだ。

 フレンツェンの地元ニュルブルクリンクの第14戦ヨーロッパGPではついにポールポジションを獲得し、決勝もライバルをリード。フレンツェンのタイトル挑戦は、さらに現実味を増したかに見えた。しかし、ピットアウト直後にマシンが止まってしまい、望みは潰えた。

 当時のレギュレーションでは、スタート時に最適な加速を生み出すローンチコントロールは禁止されていた。だが、ジョーダン無限はピットスピードリミッターやアンチストールシステムを利用してエンジンを制御し、これに極めて近い効果を生み出していたと言われている。

 エンジンにかかる負荷を抑えるため、10秒以内に解除しなければエンジンが自動的に停止するフェイルセーフが設定されていた。ただ、ピットアウト時にこれを使ったフレンツェンが解除し忘れ、1コーナーの先でマシンが止まってしまったのだった。

 裏を返せば、当時の無限はただのエンジンサプライヤーではなく、そのくらい高度なエンジン開発と高い性能をF1にもたらしていたということだ。

 フレンツェンはタイトル争いから脱落したものの、最終的にドライバーズランキング3位を獲得。そしてジョーダン無限も2勝と6回の表彰台獲得で、コンストラクターズランキング3位というチーム史上最高の成績を収めた。

 ホンダは1998年にF1復帰を発表してRA099というテストシャシーを製作し、フルコンストラクターとしてのF1参戦に向けて1998年末からテスト走行を開始した。そのマシンに搭載されていたのも、無限のMF301HDだった。

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