アイルトン・セナをF1王者に導いた名車。根底にある本田宗一郎の言葉 (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by Getty Images

 ホンダ・エンジンを欲したマクラーレンに対し、ホンダはセナの起用を条件としたという。モンツァで行なわれたマクラーレンとホンダの供給発表記者会見に、セナが同席してセナの加入も合わせて発表されたことからも、ホンダとセナの関係の強さがうかがえた。

 新加入のセナは3度の王者アラン・プロストに対し、2戦目のサンマリノGPですでに予選で0.7秒も速いタイムを刻んでみせた。そして同じホンダ・エンジンを積む3位のネルソン・ピケ(ロータス)には3秒もの大差をつけた。車体、エンジン、そしてドライバーの腕と、すべてにおいて突出した速さを兼ね備えた組み合わせだった。

 だが、第3戦モナコGPで、2位のプロストを1分近くも引き離して独走状態だったにもかかわらず、プロストがファステストラップを刻んだという事実に揺さぶられ、必要のないプッシュをしてクラッシュし、痛恨のリタイア。その後もプロストのレース巧者ぶりを見せつけられ、そこから学び、セナはただ速いドライバーから速くて強いドライバーへと成長していった。

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 そしてホンダの地元・鈴鹿で、セナはポールポジションを獲得しながらもスタートでのエンジンストールを喫す。しかし、13位まで後退しながらも小雨がパラつく難しいコンディションのなか、猛烈な追い上げで大逆転勝利を収め、タイトル奪取という劇的な結末。初のドライバーズタイトルを獲得した。

 ホンダにとっても、地元・鈴鹿で悲願の初優勝だった。

 マクラーレンとホンダ、そしてホンダとセナの伝説は、ここから始まった。日本、ブラジルというヨーロッパの外からF1に挑戦し、様々な不利や迫害と戦いながらもがき、技術と才能と情熱で戦い抜いて頂点に立った。そのストーリーに日本中が感動し、日本はセナとホンダを中心とした一大F1ブームへと突入していった。

 そして間違いなく、MP4/4はF1の新たな時代を作るマシンとなった。まさにホンダのチャレンジスピリットが昇華したシーズンと言えた。

(つづく)

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