ホンダF1初のチャンピオン獲得。驚異の1500馬力を誇った最速マシン

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by Getty Images

 ウイリアムズ・ホンダの戦闘力は高く、そのマシンを駆るナイジェル・マンセルとネルソン・ピケは毎度レースで激しいバトルを演じた。ふたりが勝利を分け合うかたちになったため、ドライバーズタイトルは最終戦でアラン・プロスト(マクラーレンTAG)に奪われたものの、16戦9勝でホンダにとっては初のコンストラクターズタイトルを獲得する。

 このシーズン、ウイリアムズFW11が最速のマシンであったことは言うまでもなかった。

 最終戦オーストラリアGPの現地を訪れていた本田宗一郎(本田技研工業創設者/1991年没)は、「我々の夢をつなげてくれてありがとう。ワールドチャンピオンを獲ってくれてありがとう」とチームスタッフ全員の前で床に額がつくほど頭を下げて礼を言ったという。4輪自動車メーカーとして歩き始めた時から世界に挑戦したホンダの、まさに悲願成就だった。

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 なによりホンダが、世界に先駆けた技術をF1にもたらし、血気盛んなエンジニアたちの情熱を結実させて世界の頂点に立ったという事実は、何ものにも代えがたい実りを日本のファンにもたらした。

 そして1987年の日本GP、全戦テレビ中継開始と相まって、ホンダの活躍は日本に訪れる一大F1ブームの礎(いしずえ)となった。

 その背景にあったのは、本田宗一郎の号令の下で世界に挑戦した第1期の時から脈々と続くチャレンジスピリットであり、それこそが「ホンダらしさ」だった。

(つづく)

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