ホンダF1の歴史を名車で振り返る。らしさを象徴する伝説の1台

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by Getty Images

 その背景には、F1挑戦の初期からチームを率いてきた中村良夫が現場を離れていたこともあった。

 中村はシーズン当初、市販車の開発に専念するよう会社からの命令を受けていた。しかし、最終戦メキシコGPで「もう我慢はたくさんだ!」とF1復帰を直訴し、標高2200メートルのメキシコシティへと飛んだ。

 戦時中の航空業界で培った燃料噴射装置制御の混合比調整ノウハウを生かし、高地でのパワーダウンを抑えて戦った。予選3位からスタートしたリッチー・ギンサーのRA272は、またしてもスタートでトップに立つ。しかし今度はレースでも後続に譲ることなく、トップを守り続けて65周を走り切った。

 4輪の経験も皆無と言っていい自動車メーカーが、参戦からわずか2年目で勝利を挙げるという快挙を達成した。

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 ロータスとBRM、ジム・クラークとグラハム・ヒルが席巻した1965年シーズン。唯一、彼らに対抗できたのがホンダだった。その第1期F1活動での成功が、ホンダを大きく成長させ、4輪自動車メーカーとしての飛躍につながった。

 ホンダの4輪黎明期にあって、既成概念に囚われることなく、失敗を恐れず挑戦して成長し、これまでにない物を生み出すチャレンジスピリット。まだ見たことのない大きな未来を夢見る力が、すばらしい結果をもたらした。

 まさしくRA272こそ、ホンダの初期衝動の具現化であり、ホンダらしさを象徴するマシンだった。

(つづく)

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