ホンダF1の歴史を名車で振り返る。らしさを象徴する伝説の1台 (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by Getty Images

 1964年8月、ようやくF1デビューにこぎつけて3戦を走ったRA271は、現在のF1マシンの常識となっているモノコックにエンジンを直接マウントしてストレスメンバー(構造)として使う方式を、いち早く採用していた。当時のF1ではロータスでさえ採用していなかった最新の方式だった。

 エンジンは1.5リッターNAという小排気量の規定にもかかわらず、V12を搭載して1万2000回転で"ホンダミュージック"と称される独特の甲高い音を響かせた。もちろん、馬力でもライバルを1割ほど凌駕し、220馬力を生みだしていたという。

 しかし、車体重量はライバルより75kgも重かった。ギアボックスはエンジンと一体型ゆえにレシオ(ギア比)変更のたびにエンジンを下ろさなければならず、そこにマウントされたリアサスペンションもアライメントを取り直さなければならないという整備性の悪さもあった。

 また、冷却も不足しがちで、ラジエターのあるフロントのエアインテイクを広げるものの改善が見られず、オーバーヒートでリタイアとなる。エアアウトレットを広げなければ冷却風が入ってこないことに気づくまでに時間を要するなど、まさしく実戦経験の乏しさが露呈したかたちだった。

 難題に果敢に挑戦し、失敗から学び成長していく......。これこそがホンダのチャレンジスピリットの体現だ。

 翌1965年はRA271を改良してRA272へと進化させ、エンジンも1万3000回転230馬力へとさらなる強化が図られた。

 車体の軽量化が図られただけでない。RA271で失敗を犯したフロントのエアインテイクもRA272では小型になり、かつ冷却性能を向上させていた。栃木の「ホンダコレクションホール」に動態保存(昨年2月も走行確認テストを実施)されているこれらのマシンは、その失敗と成長の軌跡を物語るように今でもそのまま残されている。

 1965年の第5戦イギリスGPでは、予選3位に入る速さを見せた。V12エンジンが持つ加速は驚異的で、スタートではトップに立ち、続くオランダGPでも序盤2周はレースをリードした。ただ、第7戦ドイツGPを欠場してマシンに低重心化の大改良を施したものの、決勝では振るわないレースが続いた。

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