MotoGPヤマハから漢カワサキへ移籍。中野真矢の腹の据わった走り (4ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 次のレースは2週連続開催のカタルーニャGP。タイヤメーカーのブリヂストンは、性能を抑えてでも安全性を重視したタイヤを急遽、日本から持ち込んでこのレースに投入した。数日前の中野のショッキングな出来事を目の当たりにしているだけに、ブリヂストンを履くチームの中には、実は出場を渋る陣営もあった。

「僕らはチャレンジャーなんだから、レースに出ないとか辞めるという選択肢なんて最初からあるわけがない。プロなら、やるべきでしょう」

 そう言って中野はレースウィークに臨んだ。

 決勝前にはブリヂストンから、レース中にタイヤから不審な挙動が発生したらすぐにリタイアするようにと忠告も受けていた。だが、中野は最後まで走りきり、しかも7位でチェッカーフラッグを受けた。この一部始終は、優しげな外見とは裏腹に腹の据わった中野の性格をよく表すエピソードといえるだろう。

 この後のシーズン中盤戦は、カワサキはいかにも発展途上の新興チームといった内容と成績で、中野もポイント獲得圏内を出たり入ったりするレースが続く。そして、ツインリンクもてぎで行なわれた秋の第12戦日本GPで中野は3位に入り、カワサキに初めての表彰台をもたらした。ちなみに、このレースでは玉田誠が優勝している。最高峰クラスで日本人選手がふたり、表彰台に上がったのはこのとき以来、現在に至るまで絶えて久しい。

 中野は、カワサキで3シーズンを過ごした。移籍初年の04年から06年に至るまでのそれぞれは、まさに〈ホップ・ステップ・ジャンプ〉との言葉どおりにチームとともに一段階ずつ成長を続けた3年間だった。その集大成と中野が自ら位置づけるのが、06年第8戦オランダGPだ。

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