MotoGPヤマハから漢カワサキへ移籍。中野真矢の腹の据わった走り

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

2006年オランダGPの中野2006年オランダGPの中野 02年のランキングは11位。翌03年も年間総合10位と苦戦した。ヤマハからは04年に向けたオファーももらっていたが、正直なところ、決して高い評価ではなかったという。そこにアプローチしてきたのが、カワサキだった。

 カワサキは、技術規則が大きく変わったことを契機に、02年の終盤から最高峰クラスに参戦し始めた。事実上のデビューイヤーといっていい03年は、14位や15位に入れば上等、という成績が続いた。所属選手たちのランキングは、22位と23位だった。

 むしろ伸び悩んでいた中野の成績の方が、はるかに上位のほうにいた。だが、そんな陣営が虚心坦懐(きょしんたんかい)に自分を頼ってくれたことで、中野にも大いに意気に感じるものがあったのだろう。とはいえその反面では、少年時代から長年育ってきたヤマハを去るのは「非常に辛い決断だった」と中野は振り返る。

「カワサキで挑戦したい気持ちも本心でした。でも、今までずっとお世話になってきたヤマハから移籍するのは、後ろ髪を引かれる思いがものすごくありました。たしかにヤマハからいただいていた次の年のオファーはいい内容ではなかったけれども、そもそも自分がいい成績を残せていれば、好待遇を提示してもらえたはずなんですよ。だから、結局それは自分の責任なんです。

 これは日本人のいいところでもあり、悪いところでもあると思うんですが、報酬が高い方へ移籍する、というドライな考え方は自分にはないし、今までに受けたお世話や恩を大切にする文化で育っているから、あのときの移籍は本当にハードルが高かったですね」

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