ホンダのF1撤退は志半ばなのか。株価上昇が物語る現実と未来への不安 (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by Boozy

「メディアがF1を報じないからだ」と批判する声もあるが、ホンダ自身も自社の活動を報じてもらおうという努力が十分だったとは言えない。

「参戦」や「撤退」はホンダという大企業の経済活動の大きな動きだから、各メディアの経済部が報じる。しかし、レース結果は運動部が報じるかどうかで決まるし、普段から付き合いがなければ、いざ勝利を収めても新聞記事やテレビ報道にはつながらない。経済部ではなく運動部とのお付き合いという努力が足りなかったというよりも、ホンダ全体としてそういう取り組みを避けていたように感じられた。

 となれば当然、莫大な予算がかかるF1活動を正当化する理由は弱くなり、経営状況が悪化すれば反対派の声が強くなるのは当然だ。F1に対する想いはあっても、そこに経営トップとして強い意志を掲げ貫き通せなかったのが、八郷社長の残念な部分だったのかもしれない。

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 F1活動を辞めること自体は企業としての企業活動の選択だから、大株主でもない外野がとやかくいうことではない。その経営判断が正しいか間違っているかは、何年も経ってみないとわからないことだろう。

 カーボンニュートラル実現に向けた動きは、どの企業でもある。とくに自動車メーカーは、脱エンジンどころか自動車というものの概念が大きく変わることが予想されるだけに、そこにどう取り組むかはメーカーによってスタンスが異なる。

 だから、あの会社はF1を続けるのに、ホンダはどうして辞めるのか?というのは愚問だ。そのスタンスのすべてを説明する必要もないだろう。

 それをいくらF1ファンが批判しようと、週明けの株価が上昇したことこそが、すべてを物語っている。世間全体から見れば、F1ファンの切実な思いは少数意見でしかない。残念ながら、それが現実だ。

 しかし、今のホンダの4輪売上を支える『N BOX』シリーズを生み出したのは現F1開発責任者の浅木泰昭であり、F1活動で培った既成概念に囚われない発想力と自信がその原動力になっている。

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