ホンダのF1撤退は志半ばなのか。株価上昇が物語る現実と未来への不安 (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by Boozy

 八郷社長としても、5勝程度で目標のすべてが達成できたなどとは思っていないだろう。

 だからこそ、あえて「一定の」という言葉をつけたのだろうし、企業としての経営判断を正当化する言葉を並べなければならない記者会見のなかで、それが八郷社長のせめてもの抵抗と自己主張だったのではないかと推察する。

 2015年のF1復帰以来、ホンダの社内ではずっとF1反対派の声がくすぶり続け、2017年にマクラーレンから三行半を突きつけられた際には「マクラーレンとの修復がなければ撤退」と、一度はほぼ撤退で固まっていたことすらあったと聞く。レッドブルとトロロッソからのオファーも、2017年8月の段階では一度断わりを入れている。

 それでもなんとかここまでF1活動を継続し、レッドブルとともに勝つレベルまで到達してきたのは、八郷社長や倉石誠司副社長ら、ホンダのなかでは少数派とも言える「F1推進派」がギリギリのところで支えて踏みとどまってきたからだと聞いている。

 しかし、ここで断念しなければならなかった。それは、カーボンニュートラル実現に向けた企業としての転換のためなのか、新型コロナウイルスの影響による経営悪化なのか、八郷社長の任期が今年度で切れることに理由があるのか、はっきりしたことはわからない。

 一部ではF1活動費が年間1000億円以上との報道もあったが、それは筆者が聞いていた数字とはケタがひとつ多い。世の中には不確かな情報も多々あるだろうし、いずれにせよ2021年以降のF1はチーム側だけでなくパワーユニットの開発制限も強化されて、参戦費用は格段に安くなるはずだった。

 それでも撤退するということは、金額の問題ではないのだろう。

 そもそも、たとえ1000億円使っていようと、F1活動によってホンダの売上が1000億円以上増えるのであれば、辞める理由などない。

 単純に「F1はホンダのDNA」という言葉に甘え、F1活動をホンダのブランディングおよびマーケティングに生かそうという努力をしてこなかっただけのことだ。青山本社のF1活動を統括する部署がブランドコミュニケーション本部という枠組みの中にあったにもかかわらずだ。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る