最高待遇をなげうってMotoGPに参戦した玉田誠。親友・加藤大治郎への想い (2ページ目)
2003年リオGPの玉田 当時の玉田は24歳。全日本時代に、裡(うち)に秘めていた己の志について、後年になって玉田はこんなふうに語ったことがある。
「あのころは、『ファクトリーに入らなければ何も始まらない、絶対にファクトリーライダーになるんだ』という気持ちでレースをしていました。自分が育ったサテライトチームで学んだことを土台に、ファクトリーに入ればさらにたくさんのことを学んで、もっと速くなれる。しかも、あの当時のスターティンググリッドには、『こいつ、人を殺すつもりなんじゃないか』というくらい(笑)、ピンと張り詰めた雰囲気があった。でも、それくらいの強い気持ちで走らないと、世界を相手に戦っていくことなんてとてもできないと思うんですよ」
01年と02年の2シーズンを、玉田はホンダファクトリーライダーとして全日本ロードレースのスーパーバイククラスで戦った。日本のロードレース界では、選手として最高の待遇といっていい。しかし、彼の目指すべき場所はさらに高いところにあった。
「僕らの時代は、グランプリの125ccや250cc、最高峰クラスで日本人がたくさん走っていました。皆が当たり前のように何回も優勝していたし、チャンピオンも何人もいました。日本で一緒に走っていた人たちが世界で活躍している姿を見ると、『オレにもできる』と思うじゃないですか」
特にチーム高武時代からの親友、加藤大治郎がトップライダーとして争う姿を目の当たりにすると、自分も早くそこに行きたい、という思いはなおさら強くなっていった。
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