ロッシの後輩、シモンチェリの短過ぎた生涯。遺志を継ぐ日本人がいる
すると、シモンチェリはこう返した。
「バレは、おいらの豊かな髪が妬ましいのさ。彼はこれから髪が薄くなっていく一方だろうから、きっとそんなことをいうんだよ。かわいそうだとは思うけど、髪は切らないからね」
憎まれ口のようにも聞こえるが、だからこそ、彼らの親密で打ち解けた関係がなおさら感じ取れるエピソードだ。
250ccクラスを制覇した翌年、誰もがMotoGPへステップアップすると思っていた。だが、本人は同クラスへの残留を選んだ。2ストローク250cc最後のシーズン(注:10年から中排気量クラスは4ストローク600ccのMoto2になることが決定していた)である09年にクラスを連覇して最高峰へ昇格するというプランを立てたのだ。
このシーズンは青山博一と激しいチャンピオン争いを続けたが、最終的に青山が凌ぎ切ってタイトルを獲得。シモンチェリは連覇を逃した。そして、翌10年にシモンチェリと青山は、ともにホンダ陣営から最高峰クラスへステップアップを果たした。
2011年チェコGPのシモンチェリ MotoGPへ昇格すると、シモンチェリは本格的に存在感を発揮し始めた。初年度の10年はベストリザルトが4位(第17戦ポルトガルGP)で、年間ランキングは総合8位。表彰台こそ獲得しなかったが、何度もシングルフィニッシュを果たし、バイクナンバーの58を見れば誰もがすぐにあの風貌を想起するほど、強い印象を残すライダーになっていた。
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