ホンダのモンスターマシンを操った悲運の天才。ダニ・ペドロサの功績 (4ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 この時期(今から考えればレースキャリア後期ということになる)のペドロサを語るとき、日本のファンならおそらく誰もが思い出すのは、「侍」の大きな漢字のデザインを頭頂部にあしらったヘルメットだろう。このヘルメットが初めて登場したのは、15年のツインリンクもてぎだった。最初はあくまでも日本GP用のスペシャルヘルメットだったが、評判がよく毎戦使用するようになり、以後は引退までこのデザインを愛用しつづけた。  

2018年バレンシアGPのペドロサ。「侍」と記されたヘルメットを愛用した2018年バレンシアGPのペドロサ。「侍」と記されたヘルメットを愛用した ちなみにこの侍ヘルメットを初めてお披露目した15年日本GPで、ペドロサは優勝を飾っている。2位のバレンティーノ・ロッシに8.5秒の大差という、典型的な勝ちパターンだ。HRC副社長(当時)としてレプソル・ホンダ・チームを率いていた中本修平は「ダニは(マシンセットアップを)90%合わせてあげることができれば、誰にも手のつけられない速さを発揮する」とよく言っていたが、まさにそれを体現したレース展開だった。

 16年も17年も、ペドロサが勝つときはいつも独走だった。すでに30歳を超えていたが、優勝するレースではロッシやマルケスに数秒差を開いて勝利を手中に収めた。

 それが暗転したのは、18年だ。

 第2戦アルゼンチンGPの決勝レースで転倒し、右手首を骨折。スペインへ戻って手術を実施した後、翌戦のアメリカズGPが行なわれる米国テキサス州オースティンへ飛んだ。

 ライダーにとって、精妙・繊細なスロットル操作を行なう右手は、第2の脳といってよいほどの重要なボディパーツだ。その骨折した右手首を手術し、スクリューで固定したペドロサは、鎮痛剤を使用しながらレースウィークに臨んだ。結果は7位。負傷の状況を考えれば、上々といっていいだろう。

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