MotoGP「無敵の王者」マルケスの少年時代。デビュー前にいきなり骨折 (4ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 それでも、多くの若い才能がひしめくクラスで強烈な存在感を発揮するほどの輝きは、当時の彼はまだ見せていなかった。しかも、シーズン終盤のマレーシアGPで初日の金曜午前に大きな転倒を喫し、右脚の脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を骨折。この負傷により、同日午後以降の走行と最終戦は欠場することになった。

 翌09年はKTMファクトリーチームに抜擢(ばってき)された。2回のポールポジション(フランスGP、マレーシアGP)と1回の3位表彰台(フランスGP)を獲得し、年間ランキングは8位。結果にも明らかなとおり、ダイヤの原石が十分に磨き込まれて光を放つには、まだ至っていない。マルケスがその恐るべき才能をようやく世界に示し始めたのは、次の年、10年シーズンだ。

 結果からいえば、マルケスは10年シーズン全17戦で12回のポールポジションを獲り、10勝を含む12表彰台でチャンピオンを獲得した。

2010年、最終戦バレンシアGPのマルケス2010年、最終戦バレンシアGPのマルケス「この若い選手はものすごい才能の持ち主なのかもしれない」と世界が気づいてざわつきはじめたのは、はたしてこの年のいつごろだっただろうか。10年前の出来事なので、記憶があやふやになっている部分もあるが、古い知り合いのスペイン人ジャーナリストから「このライダーはチェックしておいたほうがいいぞ」と注意を喚起されたのは、シーズンも半ばに差し掛かる時期だったように思う。第5戦イタリアGPでグランプリ初優勝を飾ってから5連勝の快進撃を続ける途中の、どこかのレースだった。

「度胸とスピードは一級品、才能はホンモノだ。将来、必ずMotoGPのトップライダーになる」という言葉は、同郷ゆえの身びいきという点を差し引いたとしても、マルケスが自分の成績で十分に実証しつつあった。しかも、同様の言葉を複数のジャーナリストから聞いた。10年当時は、MotoGPクラスでホルヘ・ロレンソやダニ・ペドロサがトップライダーとして活躍していた。人材が豊富で選手層の分厚いスペインに、またひとり新たな逸材が登場してきたというのが、彼らから話を聞いた時の正直な印象だった。

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