引退までの苦闘と輝き。ホルヘ・ロレンソは清々しい表情で去った

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 ロレンソは「こちらこそ、ありがとう」と返答し、重ねて「この冬は、何をして過ごす予定なんだい」と向こうから尋ねてきた。

 MotoGPのトップライダーが同国人でもないジャーナリストに対し、そんな気さくな態度で雑談を投げかけることはまずありえない。ロレンソは、小中排気量時代の不遜(ふそん)な様子や一時期のロッシとの熾烈(しれつ)な確執などの印象があって、高慢なライダーという印象をいまだに一部で持たれている。しかし、彼の実像には、このように飾らない気さくな一面があるのも事実だ。

 ドゥカティ2年目の18年は、ロレンソにとって正念場のシーズンだった。だが、シーズン序盤は前年同様に苦しいレースが続いた。開幕戦から第4戦までの成績は、転倒、15位、11位、転倒。第5戦のフランスGPは6位で終えたが、ドゥカティCEO(最高経営責任者)は「ホルヘは偉大なライダーだが、我々のマシンを存分に速く走らせてはいないようだ」と辛辣なコメントを発した。

 この言葉にロレンソは反発し、次のイタリアGPで「僕は別に偉大なライダーじゃない。チャンピオンなんだ」とやり返した。開催地のムジェロサーキットはドゥカティのテストコースでもあり、本社からは車で1時間の至近距離にある。つまり、ドゥカティにとってまさに庭のような場所だ。その会場で、ロレンソはついに優勝を達成した。CEOの嫌味に対して、ライダーの立場から最高の形で意趣(いしゅ)返しをしてみせた格好だ。

 そして、このレースが終わった2日後には、翌19年のレプソル・ホンダ・チームへの移籍を電撃発表して、世界中の度肝を抜いた。話は続く。イタリアGP翌戦のカタルーニャGPでは、ドゥカティ移籍後初のポールポジションを獲得。その勢いのまま、レースでも優勝して2連勝を飾った。シーズン終盤にはケガをして、数戦で欠場したために年間ランキングは9位で終えたが、この18年はライダーの高い能力を存分に見せつけた一年だったと言っていいだろう。

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