不屈のホルヘ・ロレンソ、ロッシと一触即発。MotoGPでも大暴れ (4ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 その後、ロレンソは第11戦U.S.GPの際にも派手なハイサイドを喫して転倒し、レースを1周目でリタイアした。その時がロレンソにとって、「おそらくシーズンの底だったのだろう」と中島は言う。実際に、その後のロレンソは夏休み明けのサンマリノGPとインディアナポリスGPでは、2位と3位の連続表彰台を獲得した。

「ケガをしてうまくいかない時期が長引くと、落ち込んでなかなかはい上がれないものだけど、さすがに250ccクラスでチャンピオンになったのはダテじゃない。ホルヘのただものではない精神力の強さを感じましたね」

 ロレンソは、この5年後にさらに強靱な精神力を見せる。13年のオランダGP初日に転倒して、左鎖骨を骨折。以後のセッションはキャンセルすると思われたが、夕刻にバルセロナへ飛んで夜に手術を敢行。チタンプレートを挿入して8本のスクリューで固定し、翌日にはサーキットへ帰還した。そして、決勝日午前のドクターチェックで走行可能との診断を得て、決勝レースに参戦。5位で完走を果たしたのだ。

 レース終了直後に、中島はピットボックスで憔悴(しょうすい)しきったロレンソの傍らへ歩み寄った。「おまえはヒーローだよ......」、感極まった中島には、ひとこと言うのが精一杯だった。

 デビューイヤーの08年に話を戻す。ロレンソは年間ランキング4位で1年を終え、タイトルはロッシが獲得した。翌09年は、全選手のタイヤがブリヂストンのワンメークになり、ロレンソは完全にロッシと同一条件のマシンパッケージになった。そして、最高峰クラス2年目の習熟とも相まって、彼らはチームメイト同士で激しいタイトル争いを繰り広げてゆく。チャンピオンを争う直接のライバルになったことにより、ふたりの関係はさらに一触即発の度合いを高めていった。

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