日本での挫折をきっかけに変身。ホルヘ・ロレンソは王座へ歩き出した (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 秋空のツインリンクもてぎで、ロレンソはライバル選手たちと三つ巴の激しい2位争いを繰り広げていた。緊密なバトルが最高潮に達した最終ラップ、バックストレート手前の右へ小さく旋回するヘアピン進入の際、強引に後方からイン側へマシンをねじ込もうとした時だった。減速が十分でなく、左斜め前にいたマシンを大きく弾き飛ばす格好になって自分自身も接触で転倒。リタイアとなってしまった。

250ccクラス時代のロレンソ250ccクラス時代のロレンソ 過失を重く見たレースディレクションは、ロレンソの次戦参戦を取り消す処分を下した。出場停止処分期間中に、スタイルと自負していたはずのライディングや勝負の方法について、「果たして妥当なものであったのか」と、ロレンソは熟慮し、真摯に反省した。その結果、「クリーンなファイトスタイルに切り替えなければならない」という結論に至った。

 このエピソードは、後年になって他のライダーから危険な勝負を仕掛けられた場合に、必ずといっていいほど自らの転換点としてロレンソは例に挙げた。「二輪ロードレースは格闘技のようなコンタクトスポーツではない」、「ほんの少しのミスが重大な事故につながる可能性もあると認識しなければならない」と、相手に対して猛省を促した。

 彼自身についていえば、当時の反省を経た結果、クリーンなファイトを信条としながらも向こう気の強さと克己心をも併せ持つユニークなスタイルの選手へ成長していった。

 そんなロレンソが、グランプリシーンに初めて登場したのは02年。最高峰クラスが2ストローク500ccから4ストローク990ccのMotoGPへ移り変わった節目の年だ。

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