天才ケーシー・ストーナーの歩み。「よく転ぶライダー」から王者に (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 そんな斜に構えた半可通の言葉を聞くたびに、ストーナーのクルーチーフを担当していたクリスチャン・ガバリーニはいつも内心で苦笑していたという。実は、ストーナーは電子制御の介入をできる限り排し、右手首の繊細な感覚でスロットルを操作することを好むライダーだったからだ。彼の傍らでマシンセットアップの方向性を束ねるガバリーニは、彼のずば抜けたライディング技術を誰よりもよく知っていた。

才能溢れる走りで観客を魅了したストーナー才能溢れる走りで観客を魅了したストーナー 11年に、ガバリーニはストーナーとともにホンダファクトリーのレプソル・ホンダチームへ移籍した。そして、そのシーズンも17戦中10勝を含む16回の表彰台獲得という圧倒的な成績でチャンピオンを獲得した。

 もはや、ストーナーの天才を疑う者はいなかった。だが、翌12年5月、フランスGPが始まる直前のル・マンサーキットで、ストーナーはその年限りで現役活動から退くと明らかにした。あまりに突然の発表だった。当時、ストーナーは26歳。11月の最終戦を終える時には27歳だが、その若さでグランプリシーンを去る決意をしたことに人々は驚き、大きな才能の退去を惜しんだ。しかし、いつもと同じ穏やかな口調で引退の決意を述べるストーナーの表情には、悔いのかけらも見えなかった。

 そんなストーナーが世界選手権へ初めてフル参戦をしたのは02年、16歳で250ccクラスにエントリーした時だ。

 当時の所属先は、かつて有力ライダーだったルーチョ・チェッキネロがプレイングマネージャーを務めるLCR(ルーチョ・チェッキネロ・レーシング)の250ccクラスチームだ。抜擢と言っていい。

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