バレンティーノ・ロッシは熱狂を生む。デビュー時から「もっていた」

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 同じイタリア人で、当時大きな人気を誇っていたマックス・ビアッジとの確執が表面化しはじめたのも同じ頃だ。

 1994年から97年まで中排気量クラスを4連覇し、98年には最高峰500ccクラスに鳴り物入りでデビューしたビアッジは、開幕戦鈴鹿で鮮やかなポール・トゥ・フィニッシュを達成して世界中を唸らせた。スーパースターの階段を駆け上ることを約束されていたはずのビアッジだが、実は97年に、125ccクラスの人気者だったロッシとささいなことから舌戦になり、それがきっかけになってビアッジの人気には陰りが見えはじめていた。

 ふたりの確執には様々な要素があるが、この事件以降、彼らの母国イタリアなどの一部メディアでは、両者の不和を煽るような論調に拍車がかかり、ロッシをベビーフェイス、ビアッジをヒールのような位置づけで扱うようになっていった。この時代から、すでにロッシが人々の心理の機微を見切って自分の味方につける術を身につけていたことの証、とも言えるだろう。

 125ccと250ccの両クラスを制覇したロッシが、ホンダから500ccクラスへ昇格したのは20世紀最後の年、2000年だった。5年連続でタイトルを制し、無敵にも見えたミック・ドゥーハンが前年第3戦スペインGPで負傷し、その年かぎりで引退することになったため、ロッシはドゥーハンのクルーチーフだったジェレミー・バージェス以下のスタッフをほぼそのまま引き継ぐ格好の、そして破格のファクトリー待遇でデビューを果たすことになった。

 チームはレプソル・ホンダではなく、小中排気量時代からロッシを支えてきたイタリアのビールメーカーがタイトルスポンサーとなり、ナストロアズーロ・ホンダ、というチーム名称になった。

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