記録は不名誉、走りは魅力満点。F1で一番勝てなかったドライバー (2ページ目)

  • 川原田剛●文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • photo by Mclaren Racing

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 翌年アルファロメオに移籍し、2シーズンを過ごすことになるが、彼がもっとも輝いた時期だったかもしれない。82年、カリフォルニア州ロングビーチの市街地コースで開催された第3戦アメリカ西GPでポールポジションを獲得。決勝では一時トップを快走し、34周目にコンクリートの壁にぶつかるまでは2位を走行していた。

 第5戦モナコでは優勝にあと一歩まで迫るが、最終ラップでガス欠。それでも何とか3位でフィニッシュして自身初の表彰台を獲得している。

 83年の第6戦ベルギーGPでは、3番グリッドから抜群のスタートを決めてトップに立つと、アラン・プロストやネルソン・ピケを従えてレースをリードし、最速のラップを記録。最終的にはエンジン・トラブルでリタイアを喫するが、持ち前の速さを存分にアピールしたレースだった。さらにシーズン終盤のドイツGPと最終戦の南アフリカGPで2位表彰台を獲得。それが彼のキャリアで最高の成績となった。

 アルファロメオがF1から撤退すると、フランスのリジェを皮切りに1~2年ごとに中堅から下位チームを渡り歩き、成績も徐々に下降していく。彼が再び輝きを放ったのは91年、チェザリスにとって9チーム目となるジョーダンをドライブしたシーズンだった。

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