名は体を表す。小林可夢偉は何度も「偉大な夢を可能に」してきた (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

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 しかし、そのわずか4日後、可夢偉の運命は大きく動いた。

 シンガポールではしゃぎすぎたグロックが体調を崩し、金曜の朝になって急遽、可夢偉が第15戦日本GPの金曜フリー走行に起用されることになったのだ。

「可夢偉、今どこにいる?」

 新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターから電話を受けた時、可夢偉はまだホテルにいたくらいだった。

 母国グランプリとはいえ、17歳からヨーロッパに渡った可夢偉にとって、鈴鹿は2度ほどしか走ったことがない不慣れなサーキットだった。しかも、あいにくのウエットコンディション。

 しかし、可夢偉は好走を見せ、チームから高い評価を得た。TF109はテストやシミュレーターで走り慣れていたマシンであったことも、可夢偉にとっては幸運だった。

 そして、体調不良を押して出場したグロックが予選で大きなクラッシュを喫して負傷し、なんと次の第16戦ブラジルGPで可夢偉がF1デビューを果たすことが決まった。

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