山本尚貴がトロロッソで好走。思い出す30年前の「日本一速い男」の言葉 (3ページ目)

  • 川喜田研●取材・文 text by Kawakita Ken
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

「F1マシンに1回乗ったから満足できたかというと、時間が経てば経つほど悔しさも湧いてきます。もっと乗れば、タイムを上げられるという手応えを感じましたし、直接的に比較できるのは同じマシンに乗るチームメイトなので、乗ったら負けたくない。ミディアム・タイヤを履いていたダニー・クビアトとコンマ1秒しか違わなかったと言われても、彼がソフトタイヤを履いたらもっといいタイムが出ていたはず。次の機会があったら、彼にもっとライバル心を持ってもらえる走りをしたい」

 こう語る山本の言葉や表情からは、長い間、夢に抱いてきたF1マシンを、鈴鹿の大観衆の前でドライブしたことへの喜びや興奮だけでなく、この経験によって新たな「火」がついたレーシングドライバーとしての「闘志」や「自信」、そして悔しさがハッキリと伝わってきた。

 正直に白状しよう。彼のことをよく知る人には「何を今さら...」と笑われるかもしれないが、限られた時間とはいえ、今回初めて山本尚貴というドライバーに接し、その言葉や人柄に触れた筆者は、一発で彼の「ファン」になってしまった。スーパーフォーミュラとGTのダブルタイトルを獲得した実力はダテじゃないし、その真摯で実直な人柄も、内に秘めた闘志や自信も、ひとりのレーシングドライバーとして魅力的だ。

 だからこそ、冒頭にも書いたように「モヤモヤとした気持ち」の中に沈みこんでしまいそうになる。当然、彼の「最も新しいファン」のひとりとして、この先、山本がトロロッソ・ホンダのレギュラードライバーの座を手にし、自らの力を存分に試し、GPでその雄姿を見ることができたら、それはどんなに心躍ることだろうか。

 だが、30年近く「F1の現実」を見てきた筆者には、それがいかに難しいことなのかもよくわかっているつもりだ。そうした状況で、メディアが無責任に期待を煽ることが、どんな結果を招いてきたかを、イヤというほど思い知らされてきた。

 そんな「F1の現実」を、誰よりも意識しているのが、ほかならぬ山本自身であることは間違いないだろう。彼が初めてのF1ドライブを通じて手応えと自信を得ることができたからこそ、新たな火がともされたレーシングドライバーとしての本能を、ここから「未来」へどうつなげるのか......。

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