室屋義秀はエアレース最終戦で「もう一度味わいたい感覚」がある (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

 にもかかわらず、そこに特別な感情はないのだろうか。そうした感情があったとして、それは決してネガティブなことではないはずだし、最後のレースに向けたモチベーションにもなるのではないだろうか。

 そんな疑問を抱え、室屋を訪ねた。ラストレースを前にして、勝負師に徹する、あまりにクールなパイロットの胸の内を探るために。

「(レッドブル・エアレースの終了は)もちろん、残念は残念です。でも、そんなに甘い人生を過ごしてきてはいないから、『人生なんて、そんなもんよ』っていうところはありますよね(笑)。デビュー前年(2008年)のトレーニングキャンプから数えて、僕のエアレースは今年で12年目。年齢もちょうどひと回りしたので終了って感じなのかな」

 室屋は冗談めかしてそう切り出すと、惜別の念とはまったく異なる感情を口にした。

「エアレースパイロットの年齢は、他のスポーツに比べて若干高いとはいえ、46歳で第一線にいられるのは、非常にラッキーなことだと思います。同じ競技を12年も続けられたのは、プロスポーツ選手としては奇跡的、と言ってもいいかもしれない。途中でクビになる可能性もいっぱいあったし、(レッドブル・エアレースが続いていたとしても)この先も、その可能性はあったわけで。来年もやる気だったので残念ですけど、言い換えれば、シートを失って辞めるわけではないのだから、ここまでやれたっていうのは偉大なことかなと思っています」

 室屋は10年前のデビュー当時を、「今の状況を想像はできなかった」と懐かしそうに振り返る。

「当時は、『世界一を取る!』とは言っていたものの、正直、それはどこにあるんだろうなという感じで。とりあえず(レッドブル・エアレースに)入れただけで浮かれていたし、入ったからには優勝だとは言っていましたけど、あのレベルでは到底無理でしたよね」

"あのレベル"とは、室屋曰く、「今の僕が2009年の僕と戦ったら、100戦100勝できるくらいの差はあるんじゃないかな(苦笑)」。10年前の室屋は、世界チャンピオンになるためには何が必要なのかがわかっていないという以前に、「その存在自体に気づいていないものがいっぱいあった」という。

「操縦の技術もそうだし、機体のテクノロジーもそうだし、自分の心の使い方みたいなものもそうだし。当時は『慣れてくればイケる!』とか、『1年目だからしょうがない』とか考えていたけど、そういうものじゃない。レース本番になると、力を出せる選手と出せない選手がいて、そこには自信の作り方とか、緊張のコントロールとか、いろんなスキルが必要になるのに、そういうものも知らず、ただガムシャラに走っている感じでした」

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