2019.08.27

奨学金制度でF1を目指した日本人ドライバー。塚越広大の生き方

  • 川原田剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

■日本からレースの本場ヨーロッパに渡り、実績を積み重ねる塚越は「次期ホンダのF1ドライバー候補生」として大きく注目を集めていた。しかし予期せぬ出来事が起こり、順風満帆のレース人生は暗転する。期待の新星は行く先を失い、ドライバーを続けられるかどうかの瀬戸際まで追い込まれる。

ユーロF3でも実績を積み、F1へ近づいていったが...(写真提供/塚越広大)――そこへ、リーマンショックと呼ばれる国際的な金融危機が2008年に発生して、塚越選手がサポートを受けるホンダが08年限りでF1を撤退すると発表します。それによりドライバー人生も岐路に立たされることになったんですね。

「ホンダが年末にF1撤退を発表し、ヨーロッパで戦っていた僕も急遽、日本に帰国することになりました。でも、そのタイミングで帰国しても、翌年に参戦するカテゴリーすら何も決まっていない状況でした。ホンダからも翌年のシートはないとはっきり言われました。その時まで、僕は速く走れれば自分の人生はなんとかなると思っていたんです。でも突然、もしかしたらレースができなくなるかもしれないという状況に陥りました」

――プロのレーシングドライバーになる夢をあきらめなければならないという考えも頭をよぎったのではないですか?

「それはなかったですが、レーシングドライバーとして経験や知識がまだない中で、これからどうやってF1参戦の夢を追い続けたらいいのだろう......と途方に暮れました。と同時に、自分はレースを一生懸命にやっていましたが、どこかに甘えがあったのかもしれない、と考えました。

 実際、日本から本場のヨーロッパに行かせてもらい、F3で走り、GP2までテストすることができました。GP2のテストでもいいタイムを出せたので、「来年はこのままGP2で走れるのかな」と甘く考えていた部分もありました。でも突然、目の前にあった橋が音を立てて崩れてしまいました......。その頃は、『自分に何か足りない部分があったのか、もっといい成績を残していたらヨーロッパに残ることができたのか......』と自問自答を繰り返し、悶々とした日々を送っていました」

(つづく)

 ■プロフィール 塚越広大(つかこし・こうだい)
1986年11月20日生まれ。栃木県日光市出身。父親のすすめで6歳からレーシングカートを始め、12歳で公式戦にデビュー。その後、各クラスで勝利を重ね、2002年には鈴鹿戦シリーズMFCクラスでチャンピオンを獲り、鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)のスカラシップを獲得。2004年にSRS-Fに入校し、首席で卒業。同スクールのスカラシップ制度によりフォーミュラドリーム(FD)に参戦し、2005年にはシリーズチャンピオンに輝く。2006年から全日本F3選手権にステップアップし、2007年のF3マカオGPでは2位表彰台を獲得。2008年に渡英し、F3ユーロシリーズにフル参戦。シリーズ・ランキング6位に輝く。シーズンオフにはF1直下のGP2シリーズ(現在のF2)のテストに参加する。2009年からは活動の場を再び日本に移して、国内トップカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン(現:スーパーフォーミュラ)とスーパーGTにリアルレーシングから参戦中。今年でトップカテゴリーに参戦して11年目のシーズンを迎える。公式ホームページ>>https://www.tsukakoshikoudai.net/

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