トップ快走のマルケス、まさかの転倒。得意中の得意コースで墓穴掘る (3ページ目)

  • ニール・モリソン●取材・文 text by Neil Morrison 西村章●翻訳 translation by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 マルケスは土曜のセッション終了後に、コース上のバンプ(路面の凹凸)に対してRC213Vをしっかりと対処させきれるセットアップをまだ見つけられないため、サーキット・オブ・ジ・アメリカズを存分に愉しく走れていない、と話していた。

 このバンプのために、マルケスと同じホンダ勢のカル・クラッチロー(LCRホンダ・カストロール)はマルケスよりも3周早く11コーナーで転倒し、おそらく確実であっただろう表彰台を逃すことになった。レース後のクラッチローの話では、バイクの最適なバランスをまだ見いだせておらず、ギア抜けの問題も相変わらず抱えているようだった。

 この日のレース結果は、ホンダにとって不名誉なものだった。陣営4選手のうち、入賞したのは10位で6ポイントを獲得した中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)のみ。これは、1982年の第3戦・フランスGPで安全性の問題からフレディ・スペンサー、マルコ・ルッキネリ、片山敬済がレースをボイコットして全員がノーポイントに終わったとき以来の、ホンダ最高峰クラスワースト記録だ。

 とはいえ、この厳しいレース結果はある意味で予測できたことでもあった。もしも、アルゼンチンでクラッチローが犯したごくわずかなジャンプスタートがなければ、おそらくホンダ勢はランキング1位と2位でアメリカ入りしていただろう。

 それが現実にならなかったのは、HRC契約4選手のうち3名が4回のプレシーズンテストで負傷を抱えていたからだ。ホンダはまだ、ベースセットアップが煮詰まっていないのかもしれない。とはいえ、それはおそらく今後のテスト等の機会を利用して、確実に仕上げてくることは間違いないだろう。

 ここでひとつ指摘しておきたいのは、今回のコースはシーズン中でも最も肉体的に苛酷なレイアウトだが、そこでマルケスは勝利を掴みかけていた、ということだ。昨年12月に行なった大がかりな肩の手術からここまで体調を回復させたのは、まさに彼の肉体的精神的な強靱さと、つらく厳しいひたむきな努力があったからだ。

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