2018.09.16

マンセルと激闘、シューマッハを猛追。
アレジは鈴鹿で誰よりも速かった

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 最後の最後でマンセルに抜かれてしまったものの、途中の赤旗によって2ヒート制が採用された結果、アレジは3位表彰台を獲得。優勝したのはデイモン・ヒル(ウイリアムズ・ルノー)だったが、このときの鈴鹿で一番の喝采を浴びたのは、間違いなくアレジだった。

 1995年の日本GPでは、当時頂点を争っていたベネトンとウイリアムズの2チームに割って入る速さを予選から披露する。この年のワールドチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハ(ベネトン・ルノー)には及ばなかったものの、予選2番手を獲得。鈴鹿サーキットで、ふたたびアレジの走りに期待が集まった。

 決勝日はレース前まで降り続けた雨の影響で、またもウェットコンディション。アレジはスタートでまさかのフライングをとられてしまい、10秒のペナルティストップを命じられる。一時は10番手まで後退し、これで万事休すかと誰もが思った。

 しかし、アレジは雨が止んで乾き始めている路面を見て、いち早くスリックタイヤへと交換。その後、前方を走るマシンを次々と抜き去っていく。あっという間にペナルティ分の遅れを取り戻して2番手に浮上すると、さらにファステストラップを連発しながらトップを快走するシューマッハを追いかけた。

 そしてついに、アレジはシューマッハを射程圏内に捉える。ファンのボルテージは最高潮に達した。ところが25周目、アレジのマシン後部から突如、白煙が上がってスローダウン。驚異的な追い上げはここで打ち止めとなり、悔しくもリタイアを余儀なくされた。

「あのままのペースで、シューマッハに追いついていたら......」

 そんな想像をした人も多かっただろう。1994年のバトルと並び、1995年も鈴鹿サーキットの主役はアレジだった。