ライコネンが鈴鹿で驚異の16台抜き。ファイナルラップで奇跡の逆転劇 (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 その間にシューマッハ、アロンソ、ライコネンは大方の予想に反して、中団勢をものともせず次々とオーバーテイクしていき、あっという間に5位争いにまで浮上してきた。19周目にはアロンソがバックストレートでシューマッハのスリップストリームに入り、130Rへ向けてインを守るシューマッハをアウト側から豪快に抜き去ってみせる。

 レース中の給油が許されていた当時、マシンは常に軽く、バトルでもこうした軽快で豪快な挙動を見せていた。それも、ライコネンやアロンソが後方から追い上げるすさまじい走りを見せることができた理由のひとつだ。

 そして戦略面でも、ライバルより少しでもピットストップを遅らせることができれば、その間は給油後のライバルよりも格段に軽い状態で速く走ることができる。

 22周目にピットインしたアロンソに対して、ライコネンは26周目まで引っ張ってオーバーカット。ライコネンは30周目の1コーナーでアウト側からシューマッハをオーバーテイクして、ついに4位まで浮上してきた。首位フィジケラ、2位バトン、3位にはウイリアムズのマーク・ウェバー、ライコネンの後方にはアロンソ、シューマッハの順だ。

 40周目に2度目のピットインをしたバトンとウェバーに対し、ライコネンはファステストラップ連発の走りで45周目までプッシュし続け、ふたたびオーバーカットを成功させる。本来の速さに優るマクラーレンのポテンシャルを、クリーンエアで最大限に生かしたのだ。

 2005年の王座はアロンソとルノーに奪われたとはいえ、この年のマクラーレンは純粋な速さでは最速だった。ただし、マシンやエンジンにトラブルが多く、速さが結果に結びつかないことが多かった。F1にもコスト削減の波が訪れ、レース週末のエンジン交換には10グリッド降格ペナルティが科されるようになり、ライコネンはその影響をもっとも多く受けたドライバーのひとりだった。

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