いぶし銀のデイモン・ヒル、
1996年の鈴鹿でビルヌーブを退け初戴冠

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 ウイリアムズを去った翌週、ヒルは早くも翌年加入するアロウズのためにブリヂストンのタイヤテストに参加。翌1997年はF1参戦初年度で弱小チームばかりのブリヂストン勢にあって、第11戦・ハンガリーGPでヤマハエンジンのアロウズを優勝目前に導くなど、王者としての矜持を見せた。そしてジョーダンでもチームの躍進に貢献し、1998年の第13戦・ベルギーGPでチームに初優勝をもたらした。ヒルは誰もが名手と認める存在になっていた。

 ウイリアムズがヒルの放出を決めたとき、空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイはこれに猛反発してチームを去り、何人ものスタッフが後を追った。すでに完成間近だったマシンで戦った1997年はビルヌーブが王座を獲得したが、以来ウイリアムズはチーム力を低下させ、一度も王座に就くことなく現在に至っている。

 史上初の親子二代王者が誕生した1996年日本GPは、ヒルが偉大な父グラハムの息子からひとりの名手へと成長すると同時に、名門ウイリアムズが低迷への一歩を踏み出した瞬間でもあった。

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