鈴鹿F1日本GP。「セナ・プロ対決」は感情むき出しのドラマだった (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

 勝たなければならないセナと、抜かれさえしなければ王座が手に入るプロストの、なんとも後味の悪い鈴鹿決戦だった。

 セナ・プロ対決はプロストがフェラーリに移籍した1990年まで続き、まさしくこの年の鈴鹿日本GPがセナ・プロ対決のラストシーンとなった。

 セナはあいかわらず神がかり的な速さで鈴鹿を駆け抜けて、ポールポジションを獲得していた。だが、当時1コーナーまでの距離を踏まえてポールポジションはイン側に設定されていたことに対し、レーシングライン上のアウト側のほうがグリップが高く有利だと、セナはポールポジション位置の変更を要求。予選前にその要望は受け容れられていたものの、予選後になってこれが白紙撤回となり、またしても鈴鹿には不穏な空気が漂った。

 そして、不満を抱えたセナは懸念のとおりスタートで出遅れ、2番グリッドのプロストのほうが好加速を見せた。この年は前年とは逆に、プロストはここで優勝できなければセナのタイトルが決まる。

 1年前のシケインでの出来事がセナの脳裏をよぎったかどうかは、当人にしかわからない。しかし、セナとプロストはまたしても2台で絡み合うように1コーナーに飛び込んでいき、スタートからわずか8秒でふたりのレースは終わった。マシンを降りたプロストも何かを達観したかのように、セナと一定の距離を取りながら静かにピットへと歩いて戻ってきた。

 この瞬間、14万1000人の大観衆の溜め息とともに、この年のチャンピオン争いが終わり、セナ・プロ対決も終焉を迎えた。

 ふたりの戦いは名手同士による次元の高いバトルであっただけでなく、感情剥き出しの人間ドラマでもあった。だからこそ人々は引き込まれ、熱狂した。そして、だからこそ最後はドライビングによる決着ではなく、感情のぶつかりあいによる接触というかたちで幕を閉じたのだ。それはある意味で、日本人の心を強く揺さぶるに十分たりうるドラマだった。

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