鈴鹿F1日本GP。「セナ・プロ対決」は感情むき出しのドラマだった

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

【短期連載】鈴鹿F1日本グランプリ30回記念企画

 1987年から開催されている「鈴鹿F1日本GP」が今年で30回目を迎える。過去の歴史を紐解けば、舞台となった鈴鹿サーキットでは幾多の名バトルが展開された。10月5日~7日に行なわれる30回目の鈴鹿F1日本GPを前に、その懐かしい思い出の数々を振り返ってみたい。

1990年、第1コーナーで接触して大破したプロストのフェラーリとセナのマクラーレン1990年、第1コーナーで接触して大破したプロストのフェラーリとセナのマクラーレンF1日本GP「伝説の瞬間」(1)
因縁・接触のセナ・プロ対決(1988年~1990年)

 鈴鹿F1日本GPの歴史は、まさに「セナ・プロ対決」の歴史でもあった。

 まだ新進気鋭の若手だったアイルトン・セナがマクラーレンに加入し、すでに2度の王座を獲得していたエースのアラン・プロストを凌駕する速さを見せたのが1988年。驚異的な速さの「天才」セナと、緻密な計算で「プロフェッサー(教授)」と呼ばれたプロスト――。対極的なふたりによる世代を超えたハイレベルなバトルに、世界中が酔いしれていた、そんな時代だった。

 ウイリアムズからマクラーレンへと供給先をスイッチしたホンダとともに、マクラーレン・ホンダのふたりが16戦15勝という驚異的な速さを誇ったこともあり、日本でのF1人気は沸騰していた。鈴鹿にとって2年目の1988年の第15戦・日本GPは、そんなシーズンのハイライトとなった。

 セナがスタートでまさかのストールを喫するものの、鈴鹿のメインストレートの下り坂を利用し、押しがけの要領でなんとかエンジンを再始動してレースに復帰。14番手から前走車たちを次々に抜き、最後にはプロストまでをも抜き去って、劇的な逆転勝利で自身初のワールドチャンピオンに輝いた。

 それはあまりにも天才的で、あまりにも劇的な「新時代誕生」の瞬間だったと言える。セナ自身が「神を見た」と語ったように、その走りは神がかっていた。そして、その舞台となった鈴鹿もまた、神がかったドラマを生み出す聖地とみなされるようになった。

 翌1989年は、プロストが優勢だった。

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