スーパーGT開幕へ。千代勝正が語る日産との「出会い、別れ、再会」 (2ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro
  • 萩庭桂太●撮影 photo by Haginiwa Keita

 自分は『プロになるにはそれしかない』と思いましたし、日産は昔からスーパーGTを観ていて好きだったので、オーディションを受けることを決めました。そして、それまでのオーディション経験も役に立って合格することができ、フォーミュラにデビューできたんです」

 2007年と2008年はフォーミュラチャレンジ・ジャパンに参戦し、2009年からは全日本F3選手権のNクラス(※)に挑戦する。しかし、ここで苦労が待ち構えていた。F3デビュー初年度は、なかなか思うような走りができずにランキング6位。その結果、戦力外通告を受けて育成枠から外されてしまう。

※Nクラス=正式名称は「ナショナルクラス」。全日本F3選手権Cクラスとは異なり、エンジンのワンメイク化や旧型シャシー(車体)の使用義務があるなど、コスト抑制を重視したクラス。現在は日本F3協会独自タイトルで争われているが、千代が参戦していた2011年まではNクラスも全日本タイトルとして争われていた。

 しかし、2年目は自身でスポンサーを集めて、プライベーターのル・ボーセから参戦。まさに"背水の陣"で勝負に出て、見事1勝を挙げてランキング3位となる。

 この成績が評価されて、千代はふたたび日産育成チームのNDDP RACINGへ移籍。そして2011年、千代自身が「ラストチャンスだった」と語るシーズンに臨んだ。

「F3はレースのカテゴリーで言うと(野球の)甲子園のようなものです。そこで勝てるか勝てないかで、プロになれるかどうかが決まります。僕にとっては『高校3年生の夏』という感じで、ここで勝てなかったらレースの道はあきらめようと思っていました」

 そのシーズン、千代は野尻智紀(現在スーパーフォーミュラとスーパーGT500クラスに参戦中)とチャンピオン争いを展開した。だが、シーズン中盤までは野尻にリードを許す流れとなる。

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