インディ500勝者の佐藤琢磨に異常事態。移籍先チームの戦闘力は? (2ページ目)

  • 天野雅彦●文 text by Masahiko Jack Amano 松本浩明●写真 photo by Hiroaki Matsumoto

 琢磨と担当エンジニアとの関係は最高だったし、チームのエンジニアリング・スタッフとの息も合うようになってきた。3人のチームメイトたちとの仕事もよりスムーズさが増している印象だった。それを継続できないのは非常に残念なことだが、琢磨は移籍して前進を続ける道を選んだ。

 RLLは1992年に発足。1986年インディ500ウィナーのボビー・レイホールが興したチームだ。彼は1986、1987、1992年の3回、シリーズタイトルにも輝いている。アメリカ東部オハイオ州出身のドライバーで、知的でありながらアグレッシブなレースぶりを見せることで人気だった。チーム名のレターマン、ラニガンというのは共同オーナーの名前だ。

 RLLといえば、琢磨が2012年に1シーズンだけ走ったチームでもある。それ以前の3シーズンは資金不足からインディ500のみに参戦していたRLLだが、新型マシンが採用される年にフルシーズンエントリーができる体制を用意。ドライバーには琢磨が選ばれた。

 その年からオハイオ州コロンバスにある本拠地はGTシリーズを戦うBMWのワークスチーム専用施設となり、インディアナポリスにインディカー・チームを新たに設立。エンジニアリング部門を強化し、クルーを訓練、育成してチームの総合力を向上させてきた。2012年にはまだ高い実力は伴っていなかったが、琢磨はインディ500の最終ラップ、ダリオ・フランキッティと優勝をかけてターン1で勝負。結果はクラッシュと悔しい思い出になったものの、それが今年の劇的優勝に繋がる貴重な経験となったことは間違いない。

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