飛び交う噂の真相は?ホンダとマクラーレンが決別したホントの理由 (7ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

 1964年に始まった第1期F1活動のきっかけは、エンジン供給の依頼を反故(ほご)にしたロータスに対して、本田宗一郎がそう返信したことにあった。そこからホンダは独自で車体を作り、F1で2勝を挙げた。ブルース・マクラーレンが自チームを興して参戦し、勝利を収める何年も前のことだ。

 一方で、マクラーレンはワークスの立場を捨て、カスタマーへと移行する道を選んだ。もともと成功まで苦難の道のりとなることはわかっていたが、カスタマーでは頂点に立つことはできないからこそ、ホンダとタッグを組んだはずだった。

 しかし彼らはそれを捨てて、ルノーのカスタマーパワーユニットを積む。それはつまり、頂点を目指す挑戦者のレース屋ではなく、ビジネスとしてチームを存続させていく一企業としての道を選んだことに他ならない。ホンダにトロロッソへのパワーユニット供給をオファーし、将来的な本体のワークス化を視野に入れているとされるレッドブルとは、まさに真逆の道を選んだのだ。

 マクラーレンとホンダが双方合意の上で選んだ円満離婚とそれぞれの"独自の道"の先には、どんな未来が待っているのか――。まずは、2018年を楽しみにしたい。

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