日本人9人目のチャレンジャー佐藤琢磨、インディ500優勝への道のり (2ページ目)

  • 天野雅彦●文 text by Masahiko Jack Amano 松本浩明●写真 photo by Hiroaki Matsumoto

 F1でも日本人最上位タイの3位となり表彰台に上っている(2004年アメリカGP)琢磨は、これで正真正銘、日本の生んだベストドライバーとなった。それがホンダのエンジン、ホンダのエアロとともに記録されたところにも大きな意味がある。

 2009年、琢磨はインディ500の予選を見にきた。時速230マイルでターン1へと飛び込んでいくマシンはほとんど減速をせず、タイヤをスライドさせながらコーナーを駆け抜ける。それを目の当たりした彼は興奮し、「やってみたい」と言い、「自分にできるのかな?」とも話した。

 翌年、F1でのシート獲得争いに敗れた琢磨は、インディカーにフルエントリーすることになった。決して戦闘力の高くないKVレーシング・テクノロジーで走った初めてのインディ500では予選落ちの危機に直面。同じチームでの2年目は、あっという間のクラッシュで最下位の33位だった。

 3年目の2012年。移籍したレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのマシンでは、それまで積み上げてきた経験を活かし、インディ500で初めて優勝争いに絡む。最終ラップのターン1、ついにトップを行くダリオ・フランキッティのインへと飛び込んだ琢磨にスタンドは熱狂した。

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